起きてくれなきゃいたずらしますよ?

 コーヒーメーカーが一定のペースで、それでもときどき少し間延びをしながらコポンコポンと褐色の雫を落としていく。馥郁としたコーヒーの香りと秋のまろやかな日差しが窓の大きなリビングを満たしていた。
 真四角のダイニングテーブルは二人がけだ。白木の木目も艷やかで、その表面を光の粒子が滑るように撫でていく。
 テーブルに並べた白い丸プレートの上では、こんがりといい色合いのキツネ色に焼けたフレンチトーストが白い湯気を立ち上らせる。
 フランスパンではなくて、四枚切りの厚い食パンにバニラアイスと牛乳を浸して、フライパンでじっくりと蒸し焼きにした自画自賛ながら逸品だ。思いついたのが朝方だったから、一晩とはいかなかったのが残念だけれど、でも充分滲みたはず。アツアツすぎて、茶漉しでふりかけた粉砂糖はすぐに溶けてしまった。後でもう一度、と鳳は思う。
 窓辺のプランターからミントの葉を摘んで飾る。ブルーベリーとラズベリーも彩りで加えた。味だけでなく見栄えも大事だ。
 木製のサラダボウルにプリーツレタス、スライスした赤パプリカ、キュウリ、トマトを盛ってフライドオニオンを散らしてある。ドレッシングは市販のものだけれど、輸入食品店で宍戸が気に入ってリピートしているものなので問題ない。
 表面の雫模様が綺麗な硝子の容器にヨーグルトをよそう。
 メープルシロップをクリーム色のピッチャーに移し、いちじくのジャムと一緒にテーブルの真ん中に置いた。
 お揃いのプレースマットの上にプレート、ボウル、マグカップ、カトラリー類をセッティングして、完璧だ、と鳳は胸を張った。
 そう、完璧な休日の昼下がりのブランチだ。
 起こしたい。
 ものすごく今すぐ宍戸を起こしたい。
 きっと驚く。
 目を見開いて、長太郎、なんだこれ、きっとそう言う。
 フレンチトーストもアツアツだし、今、このタイミングで宍戸が起きてきてくれたらいいのに。
 だが、昨夜ベッドの中で寝落ち寸前の宍戸からきつく言い渡されている。
「……オレが……自発、てきに、目ぇさますまで、おこしたら……ころす」
 弁護士である鳳と、全国クラスのテニス部の顧問もしている高校教師の宍戸は多忙を極めていた。平日も休日もすれ違いが続き、会話すら儘ならない。
 そんな十月の最終日、平日だというのにひょんなことから休日が転がり込んできた。しかもふたり同時にだ。そのことが判明した瞬間、我慢なんて利かなくなった。
 忙しさの中で肌を合わせる暇もなく、キスすら稀だったこの数ヶ月。しかしそれはそれで、それでも別に物足りないと思うことも、勿論愛を感じないというわけでもなくて、たまさかの軽いキスでも愛しいと思えた。
 若い時のように切羽詰まった焦燥に駆られることもなく、落ち着いたというか、年を取って枯れたのではと、にわかに雄としての生存本能に危惧を覚えないでもなかったのだけれど、シャワー後のしっとりとして火照った宍戸の肌に触れた途端に箍が外れた。
 外れたのは鳳の箍だけでなく、呼応するように宍戸もすぐに乱れてくれて。
(すごかった)
 思い出しただけで、下半身がやばくなった。この明るい爽やかさに満ちた空間にまったく似つかわしくないけれど、生理現象だから仕方がない。
 宍戸の疲労度とこれまでの経験値から起きる頃合いを按配して準備を始めたものの、寝室からはコトリとも気配がしない。
(ダメかなやっぱ……起こしちゃダメかなあ)
 覗くぐらいはいいかもしれない。
 耐久力はあるけれど忍耐力はない。結局鳳は、ほんのわずか逡巡しただけで、寝室の扉に手をかけた。
 遮光カーテンのひかれた室内は薄暗い。鳳の背後からリビングの光が漏れ入り、宍戸の眠るベッドに薄白い筋を描いた。わずかな明るさに反応したのか、覗きこんでみれば、宍戸の眉がかすかに動いた。
(起きるかな)
 このまま宍戸が目覚めれば、それは自発的ということになるわけだけれど。
 ぴくぴくと瞼が動く。けれど寝息は深い。布団をかぶった宍戸の身体は規則的に上下している。
(寝てるよね)
 確認するまでもなく、寝ている。鳳は部屋に入ったことを後悔していた。見なければマテもできたかも知れないのだが、気持ちよさそうな寝顔を堪能するより、早く目覚めて欲しくなってしまった。時間は刻々と過ぎていて、それはつまり一緒に過ごす休日の残り時間も限られるということなのだ。
 昨夜我慢が利かなかった結果が今のこの状態で、なおかつここで言いつけを守らずに起こしてしまったら、宍戸を怒らせて更に貴重な時間を無駄にするかもしれないというのに、それよりも鳳は自分の欲をやはり優先させてしまう。短絡的に過ぎるが、こと宍戸に関してはいつでも堪え性がない。
 駄犬と罵られるのを覚悟で、鳳はそっと宍戸の被っている布団をめくった。
 んん、と唸って、宍戸が寝返りをうつ。うるさげに腕で空を払い、枕にぼすりとうつ伏せる。
「宍戸さん」
「ん……」
「ねえ、宍戸さん、トリック・オア・トリート」
「あ……?」
 今日がハロウィンだということを思い出した。ほんの悪戯心から、実際、いたずらを仕掛ける。いたずらだから、怒られても仕方がない。勝手な解釈だ。しかしなんだかいい考えな気がして、鳳は宍戸の身体の脇に両手をつくと腕で囲い込んだ。耳元に口を寄せる。
「おかしをくれなきゃ、いたずらしますよ」
 ちゅ、と頬にキスをする。
「……っせ……」
 意味の取れない言葉をもごもごと発する宍戸の様子がかわいらしくて、鳳は目元を緩めた。
 かわいいなあと思う。寝ぼけた宍戸もいくつになっても愛らしくて、自分で仕掛けておきながら安眠を妨害したことに罪悪感も湧いてきた。もう一度だけキスをして、目を覚まさなければ退散しよう。出来立てのフレンチトーストは残念だけれど、レンジで温めてもいいし、新しく焼いてもいい。
 そんなことを考えていたところに、突然思いもよらない重力が首にかかった。
「え」
 宍戸の両腕に抱え込まれ、バランスを崩して倒れ込む。
「な、」
 眠っているとばかり思っていたのに、違うのか。動揺して瞬きをする余裕もない鳳の唇にあたたかな感触が押し付けられた。
「……っせえんだよ。用意できたのか」
 聞こえてきた宍戸の声は存外はっきりしている。唇を軽く食まれて、舌先でこじあけられた。
 鳳の首を抱え込んだまま、宍戸がキスを深めてくる。あっけにとられていた鳳も、口腔でいたずらをするその舌の動きにつられるように宍戸のキスに応じた。舌を絡ませあい、たまった唾液を互いにちゅうと吸い込んで、ふ、と甘やかな吐息を漏らした。
「あまかったろ、いたずらすんじゃねーぞ」
 引き寄せていたその腕が、キスは終わりだとばかりに今度は更に強い力で鳳のことを突き飛ばした。広いベッドの端にごろんと転がされる。
 んーと伸びをした宍戸は、首を捻りながらベッドを降りて下着を身につけ、床に落ちていたシャツをはおった。
「あー、長太郎のか、これ。まあいいわ」
「え、か、彼シャツですか」
「言ってろ」
 長い袖をまくりあげ、欠伸混じりにドアの方へと歩いて行く。唖然としていた鳳も、身体を起こすと足早に後を追った。
「宍戸さん、もしかして起きてたんですか?」
「おまえ、音立てすぎなんだよ。ガシャガシャうるさくて、おちおち寝てもいられねーよ。何作ってたんだ」
「みてください!」
 大股で宍戸を追い越して、鳳は自慢気にテーブルの上を披露した。
 感嘆の声が聞けると思ったのに、豈図らんや聞こえてきたのは重い溜息だ。
「うまそうだよな。綺麗に盛りつけられてるよ。でもおまえ、あれなんなの。このメニューであのキッチンの惨状はどういうことなわけ」
 宍戸の視線の先は、カウンターキッチンのシンクとレンジ台に注がれている。
 ガラストップのレンジ台には汚れがこびりつき、バットの底にはこぼれた牛乳が広がり、アイスの容器が床に落ちて中身は溶け出している。まな板のまわりにはパプリカの種が散らばり、ヨーグルトのパックは出しっぱなしで、コーヒーの粉がこぼれている。
「おまえは昔っからなんで変わらねえんだよ。テーブルの料理のみてくれはいいのに、裏に回ればこれって。片付けながら作れ!」
「そんな器用なことできないです」
「口答えしてんじゃねえよ。……ったく、とっくにいたずらしてんじゃねえか」
 深い溜息をついて、宍戸は肩を竦めた。ただフレンチトーストを焼いただけで、なぜこんなにキッチンがしっちゃかめっちゃかになるのか、本当に理解に苦しむ。テーブルコーディネートのセンスは、育ってきた環境に寄るのか、朴念仁の宍戸とは比べようもなく洒落ているけれど、楽屋裏がこれでは喜びも半減してしまう。
 宍戸の落胆は鳳にも伝播して、さっきまでの期待に満ちたオーラはすっかり影を潜めてしまった。
(めんどくせえなあ)
 そう思いはするものの、しょんぼりと肩を落としてダイニングチェアの背もたれに力なく手をかけた鳳の姿に、理不尽だと思うけれど哀れを誘われて、宍戸はまた更なる甘さを発動してしまうのだ。
「お菓子が足んなかったせいかもな」
 ぽつりと落ちた呟きを、鳳の耳が即座に拾う。しょぼくれていた犬の尻尾がわずかに上がった、そんなていで甘えた視線を向けてくる。
「うまそうなフレンチトースト食ったら、またイチャイチャすっか」
 コーヒー淹れろよ、と促した宍戸の背中を、はい、と素直な返事とともに鳳がぎゅっと抱きしめた。
 






(2014/10/31)

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2014年の鳳宍プチオンリーRAINBOWDAYSで参加したペーパーラリーのテキストです。